コラムニストプロフィール

米原 亮

株式会社TABI・SQUARE 代表取締役。足袋スニーカーショップの経営、外国人向け情報誌制作や翻訳などを行い、主に外国人向けに奈良の魅力を発信している。以前人力車を引いていたこともあり、奈良の隅々まで知り尽くす。

 

歩く・ならの女

(ペンネーム)

愛する「奈良」の素晴らしさをさまざまな角度から伝えるべく、観光PRを推進する仕事をしているステキな働きウーマン。「歩く奈良」を語らせたら何時間あっても足りないので注意(笑)

 

ならみち

(ペンネーム)

雑誌制作のお仕事をしているが、休日はクラシックを奏でるという、インテリジェンスな得意技も持つ多才な奈良っ子。実は一番コアな『静かなる奈良好き』。

 

花澤茂人

毎日新聞社 京都支局記者。奈良出身ではないのだが、奈良をこよなく愛し、ボランティアでお寺のお手伝いまでしてしまう。愛称「花ちゃん」で親しまれみんなに愛されるナイスガイ。

 
更新履歴
 

2011年7月15日

奈良を感じるアート体験
 

2011年5月13日

古事記ってこんなにおもしろい!
イワノヒメノミコトの愛と望郷の想い
 

2011年3月29日

奈良公園周辺の桜スポットをご紹介
 
2011年2月15日
東大寺「お水取り」
 
2011年1月15日
運気UPにおすすめのスポット&アイテムをご紹介
 
2010年12月10日
日本書記、万葉集で味わう「藤原京」と「持統天皇」
 
2010年10月29日
奈良公園おすすめ紅葉スポットをご紹介!
 
2010年9月27日
大仏さまに命をかけた僧 ~公慶上人~ 
 
2010年8月16日
トイカメラと一緒に、ゆったり「ならまち」
 
2010年7月14日
・エネルギーの集まる場所へ続く『川沿いウォーク』のすすめ
 
2010年6月17日
・鹿のこと...かくかくシカジカ
 
2010年5月17日
・鑑真和上に会いに行こう

「奈良っ子おすすめ!マニアック奈良散策」は、2011年7月にて連載を終了いたしました。
※掲載しているものはバックナンバーです。


奈良を感じるアート体験

ならみち(ペンネーム)  2011年7月28日

夏の一大イベント「なら燈花会」。2万本のろうそくの灯りで幻想的な世界が広がります。



プニプニの生の墨は、癖になる感触。昔ながらの製法に興味深々です。


体験後は、桐箱に入れて開封せずに3ヶ月自然乾燥させます。開封はドキドキの瞬間です。


棚は天然ヒノキ。自然の香りの中で土に触れていると癒されます。


乳白色といっても、色合いも様々。ギフトとしても喜ばれそうです。

息をするのを忘れてしまうくらい没頭。形や色がみるみる変わるのが楽しい。

初心者の方でもオリジナルの素敵な作品が作れます。クオリティの高さにびっくり!

今年も暑い夏がやってまいりました。
奈良の夏といえば、全国の灯りイベントの草分け的存在である燈花会(とうかえ)や、春日大社の中元万灯籠、高円山の大文字焼きなどさまざまな行事が開催されます。
夏の夜、うちわを片手にぶらりぶらりと散歩がてらに訪れる、そんな心和むひとときを過ごす方も多いでしょうね。

しかし、少し迷うのが日中の過ごし方ではないでしょうか。
盆地である奈良は、けっこう暑さも厳しく、歩き回ると夜には疲れてしまうかも・・そんな時におすすめなのが屋内で楽しめる「奈良を感じるアート体験」です。

◆にぎり墨の体験
「生の墨」を触ったことはありますか?
奈良には伝統工芸のひとつ「奈良墨」があります。
通常は型にいれて乾燥・製品化するのですが、この乾燥前の温かくやわらかな「生の墨」を、自分の手でぎゅっと握り、世界でただひとつのオリジナルの墨を作成することができるのです。訪れた『錦光園』では、墨の歴史や奈良との関わりを饒舌に教えてくださるので、わいわい楽しく過ごせますよ。聞くところによると、奈良の墨の文化には、興福寺が大きく関わっているとか。ふんわり優しい「樟脳(しょうのう)」の香りに包まれて古の伝統文化に触れてみてくださいね。

◆赤膚焼 陶芸体験
こちらも同じく、奈良の伝統工芸である「赤膚焼」。
名のとおり、少し赤みを帯びた優しい乳白色が特徴の焼き物です。
「奈良絵」という奈良の風景や鹿、文様などが描かれることが多いのですが、作家さんによって、絵の雰囲気も異なります。なかでも、私が好きなのが「なら青丹彩」の地下1階にある大塩正史さんの陶房の作品です。美しい形の器に、素朴な奈良絵がとても可愛らしく描かれ、思わずあれもこれも欲しい!と思ってしまいました。見るだけでも楽しめますが、1日体験もされているので、ぜひ訪れてみてくださいね。陶芸体験では、手回しのろくろを使って一人あたり1kgの土から好きなものを作れるそうです。無心になって土に触れる時間は、この上なく贅沢な時間。日常を忘れて、心のおもむくままに作品を作り上げてくださいね。また、もう少し手軽にしたい、という方には素焼きで出来上がった作品に自分で「名入れ」や「柄入れ」をするという体験もできます。どちらも後日完成したものを送ってくださるので、お楽しみに。世界にひとつだけのあなたの作品は、見るたびに「奈良の旅」を思い出せる、素敵な記念品になりますよ。
なお、少し余談になりますが、こちらの工房の横には大和酒を飲める素敵なBarがあります。Barといっても気軽に飲めるカウンター。お酒や焼酎など、直送限定品もそろっていますので、お酒好きの方はぜひ一杯!なお、カウンターテーブルは「ひばの木」を使っていらっしゃって、とってもいい香り。まるで森林浴でもしているような心地よさも同時に味わえます。お店が気に入れば、「ぐいのみキープ」もできるのでぜひ。
ほかにもこの「なら青丹彩」には、奈良らしい注目のお店がたくさんありますので、チェックしてみてくださいね。

◆とんぼ玉 体験教室
正倉院にも貯蔵されている、とんぼ玉。
透明感のあるガラスは、見ているだけで涼やかな気分になれますね。
昔から高貴なアクセサリーとして大切にされてきましたが、このとんぼ玉を作る体験ができる工房が、奈良町にあります。
小さな作品ですから、難しいのでは・・と思われるかもしれませんが、お店の方が親切丁寧に教えてくださるので大丈夫!
体験は一週間前の予約となり、5,500円でブレスレットやネックレスなど好みのものを2点作成できます。 オリジナルの柄や細かいパーツなどを組み合わせ、どんな作品にするかを考えるだけでも女性はワクワク。 バーナーの上での初めての作業にドキドキしながらも、作品づくりに約2時間没頭することができますよ。
完成したとんぼ玉は、それぞれの個性も表れて、こちらも素敵な奈良の思い出になること間違いなし!
カラフルなアクセサリーが並ぶ店内では友だちへのおみやげを選んだり、お店の方とおしゃべりを楽しんだり。 ゆっくり過ごす時間もまた、楽しい思い出となるはずです。

せっかく訪れてくださるのに、見る&食べるだけではもったいない!
ぜひ色んな体験をして、より奥深い奈良を感じてくださいね。

 

【にぎり墨】錦光園公式ホームページ
http://www5.ocn.ne.jp/~narazumi/

【赤膚焼】大塩正史陶房 青丹彩ホームページ
http://nara-aonisai.jp/floor_guide/shopbf02.html

【とんぼ玉】 空-歩(くーほ) ならまち工房ホームページ
http://narakoubou.chottu.net/01.html


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古事記ってこんなにおもしろい!-イワノヒメノミコトの愛と望郷の想い-

歩く・ならの女(ペンネーム)  2011年5月13日

高宮のあたりから、はるか彼方の奈良山のあたりを望む

綏靖(すいぜい)天皇葛城高丘宮跡

左手後方のなだらかな山が葛城山、手前は畝傍山

平城宮跡北の佐紀にあるイワノヒメ陵


イワノヒメ陵のまわりには5月頃カキツバタが一面に咲く

カキツバタが終わると睡蓮の花が。清らかに美しい


古事記。誰もが一度は歴史の教科書で見たことのある名前。でも実際に古事記を少しでも読んだことのある人は?
おそらく、ほとんどおられないことと思います。

『古事記』とは、神代(かみよ)の物語および伝承や歴史等を記した我が国最古の書物。天地開闢(かいびゃく)などの神話から推古天皇までの物語や出来事を3巻に分けて掲載。壬申の乱に勝利した天武天皇が、諸家に伝わる記録や神話・伝承・歌謡などを検討して編んだものを稗田阿礼が暗誦し、太安万侶が記述し完成させたことが古事記序文に記される。西暦712年に完成。

そう、古事記っていうと因幡のシロウサギとか、ヤマタノオロチとか、出雲や鳥取地方の神話(神代のお話)が有名ですが、古代天皇にまつわる物語が書かれているということは、奈良にもゆかりの場所がたくさんあるということなのですね。今回は、古事記に出てくる奈良にゆかりの人、ゆかりの場所をご紹介しましょう。

私の一番好きな登場人物は、仁徳天皇の皇后の石之日売命(イワノヒメノミコト)。仁徳天皇を深く深く愛し、それ故、仁徳天皇が皇后の留守中に宮殿に別の女性を招き入れたことに耐えきれずに、宮殿(現大阪市内あたりにあったらしい)へは戻らず、そのまま山城の国(現京都府)に向かい、次に奈良と京都の県境あたりの丘・奈良山に立ち、

「つぎねふや 山代河(やましろかわ)を宮上(みやのぼ)り 我が上れば
あをによし 奈良を過ぎ 小楯(おだて) 大和を過ぎ
我が 見が欲し国は 葛城高宮(かつらぎたかみや) 我家(わぎへ)のあたり」

と詠った、と古事記に記されます。

イワノヒメノミコトの生まれ故郷は現在の御所市、葛城山の麓。
この歌は、ひとりふるさとを離れて嫁いだ先で、愛する仁徳天皇に悲しい仕打ちをされ、もう彼のもとへは戻らないと心に決め、一生山城に住もうと決意し、最後に一度だけ故郷のあたりを見たいと思い、奈良山に立ち、詠んだ歌とされています。
「山代河(現木津川)をさかのぼり、奈良を過ぎ、大和を過ぎて、私が見たいと思う場所は葛城の高宮(高丘宮)、私の家の辺りです」というのがこの歌のおおまかな意味です。
愛するあの人にはもう二度と会えない。かといって、もう二度とあの懐かしい故郷の葛城高宮にも戻れない。せめて最後にもう一度だけ故郷を見たいと思い奈良山まで来てみたけれど、かすみがかかっていたのか、見えなかったのでしょう。
ああ、故郷のあたりをもう一度だけ見たかった・・・という姫の失恋と望郷の思いが表れた心の叫びのような歌に感じられます。

人を愛する思い、失恋の苦しみ、二度と戻れない故郷への望郷の思い。1300年前に編まれた古事記に記された「人の想い、心」というのは、今を生きる私達と少しも変わらないと感じられます。そこに古事記のおもしろさがあると私は思います。

平城宮跡から北のほど近くにあるイワノヒメノミコト陵からは、空気の澄んだ日には遙か彼方に葛城山が見えます。せめてお墓からは永遠に故郷が見えるように、と、この場所が選ばれたのでしょうか・・・
夕日に映える葛城山を望みながら、しみじみとした感慨がわき起こってくるのを感じた、ある日の夕暮れでした。

 

イワノヒメノミコト陵周辺の散策ルート:佐紀盾列古墳群と西の京の国宝探訪
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/walk_route/route
_11/detail_map_list_11_02.htm

 

イワノヒメノミコトの故郷葛城高岡宮周辺散策:葛城古道・神々のふるさとをたずねて
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/walk_route/route
_01/detail_map_list_01_6.htm

 

記紀・万葉でたどる奈良
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/kikimanyo/

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奈良公園周辺の桜スポットをご紹介!

米原 亮  2011年3月28日                                    

奈良は桜の名所に溢れています

 


氷室神社のしだれ桜は樹齢100年


一斉に花開く「染井吉野」が浮見堂周辺を彩ります



佐保川沿いに、約3kmにわたり1000本の桜並木が続きます


手つかずの自然の中に咲き誇る桜は、力強い


春分の日も過ぎ、いよいよ本格的な春の訪れを感じる今日この頃。
奈良公園一帯では木々が緑に色づきはじめ、どこかやわらかな空気が流れる。
そんな春のおすすめは、なんといっても“桜”だ。

今回は、奈良公園周辺の桜の見所を紹介しよう。
圧倒的に人気が高いのは、氷室神社にあるしだれ桜。
氷室神社は、奈良国立博物館の前にある小さな神社で、鳥居をくぐってすぐ、四脚門と呼ばれる門前に大きなしだれ桜がある。日頃は参拝客もまばらだが、この時期はしだれ桜の美しさと風格で、通りを歩くほとんどの人を境内にいざなう。せっかく奈良公園を訪れるなら、一度はこのしだれ桜を見ておきたい。
同神社は、奈良に都が置かれていた時代、奈良公園周辺に氷室(自然の冷凍庫)を設け、夏場、天皇に氷を献上する役割を担っていたといわれている。今でも、毎年5月1日には全国から製氷業者などが集まって、「献氷祭」が行われることでも知られる。

個人的な一押しスポットは、僕が引いていた人力車でもよく通る浮見堂周辺。四季折々、季節の移り変わりが楽しめるスポットだが、特に桜の季節は◎。桜の本数はそう多くないが、池に沿って咲き、角度によっては池に浮かぶお堂の背景に彩りを添えてくれる。
また、浮見堂は通年夜間ライトアップされていて、ライトの光が桜にもわずかに当たり、闇夜にその姿を浮かび上がらせる。

少し足を延ばすなら、佐保川沿いを散策してみるのもいい。
万葉集に登場し、室町時代には奈良の八つの絶景ポイント(南都八景)の一つ、「佐保川の蛍」として人々に親しまれた佐保川。
江戸時代の幕末に、奈良奉行によって川沿いに桜の植樹が行われ、今でも当時の桜が数本現存する。その後も何度か植樹が行われたため、今も変わらず川沿いに桜並木を作る。佐保川の桜と奈良公園内の桜との一番の違いは、佐保川では夜桜が楽しめる点。4月初旬の一定期間は、保存会によってライトアップされた桜が川沿いを照らし出す。夜の見所が少ないと言われる奈良...佐保川の桜で夜のひとときを。

最後にとっておきを一つ。
1000年以上に渡って樹木の伐採などが禁じられている春日の山に目を向けると、色づき始めた緑の中に鮮やかな桃色がぽつり、ぽつり。遠目からでも伝わる、植樹されたものではない、自然のままに育った桜の生命力を感じてほしい。

歴史の都・奈良ならではの桜たち。景色や建物などとの一体感を楽しむほかに、歴史を紐解きながら味わってみよう。

※本年度のライトアップは、状況により変更になる場合がございます。


氷室神社公式ホームページ  http://1st.geocities.jp/himurozinzya/index.html

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東大寺「お水取り」

花澤茂人 2011年2月15日                                     写真:花澤茂人

お水取りの舞台、東大寺二月堂


二月堂への石段を登る


二月堂の舞台を駆けるたいまつ



たいまつに照らされた練行衆


観音様に供える水を運ぶ「お水取り」の作法では、二月堂と井戸の間をおけが往復する

内陣の正面に掛けられた戸帳に、練行衆の影が映し出される

「走り」の作法では戸帳が巻き上げられ、内陣の様子があらわになる

内陣で巨大なたいまつが引きずり回される「達陀」


練行衆が勤行を終えて二月堂からの階段を下るのは、日付の変わった深夜になる

牛玉札

奈良の人はすてきなことを言う。「お水取りが終わったら、春が来る」。

「お水取り」とは、3月1日から14日まで奈良市の東大寺二月堂で営まれる「修二会(しゅにえ)」という伝統の法会の通称だ。新聞やテレビで、お堂の舞台から巨大なたいまつが突き出される光景を見たことがある人も多いだろう。しかしそれはお水取りのほんの一部に過ぎない。
この2週間、二月堂では深夜まで幻想的な世界が展開されているのだ。奈良に春を呼ぶ「お水取り」は、なぜこれほどまでに人を引きつけるのか。
お水取りのすごさを、ちょっとだけ紹介しよう。
お水取りは、「十一面観音悔過(けか)」という種類の法会だ。「練行衆(れんぎょうしゅう)」と呼ばれる11人の僧が二月堂にこもり、本尊の「十一面観音菩薩」の前で、知らず知らずのうちに犯しているさまざまな罪を懺悔(さんげ)する。そして観音様をたたえ、その功徳で人々の幸せを祈るのだ。
「私は本当にたくさんの罪を犯しています。ごめんなさい。いや~しかし十一面観音様は本当に素晴らしく、私は心から帰依いたします。そこでなんなんですが、もし良かったら人々を幸せにしていただけませんでしょうか。お願いします!」と言った具合だろうか。ちなみに観音様は2人おられ、大きい方が「大観音(おおがんのん)」、小さい方が「小観音(こがんのん)」と呼ばれているが、いずれも絶対に姿を見ることが許されない秘仏だ。

懺悔の法要が1日6座ある。それぞれに名前があり、午後1時ごろから「日中」「日没(にちもつ)」、午後7時ごろから「初夜」「半夜」「後夜」「晨朝(じんじょう)」と続く。練行衆は二月堂から階段を下った場所にある「参籠宿所」で寝泊まりしているのだが、「初夜」の勤行のために階段を上る際にはすでに暗いので明かりが必要だ。それが、よく見るあのたいまつなのだ。たいまつがすべて消え、多くの参拝客が満足して帰った後こそが本番と言える。「晨朝」を終えて僧が休めるのは、早くても深夜1時ごろ、遅い日だと午前4時ごろになる。

法会の際に唱えるお経は「声明(しょうみょう)」という節のついたもの。これはコーラスのようで、聴聞していて実に楽しい。また懺悔の気持ちを表す「五体投地」という作法は、地面から少し浮かされてある板に前身の体重をかけてひざをたたき付けるという豪快なものだ。「ドターン」と大きな音が鳴り、初めて見た時は驚いて飛び上がりそうになる。日によっては、練行衆が堂内を走り回る「走り」や、堂内で巨大なたいまつを引きずり回す「達陀(だったん)」と呼ばれる作法もある。
ちなみに「お水取り」という通称は、期間中の12日深夜に二月堂の下にある井戸から観音様にささげる水を汲む作法から来ている。見どころ、聞きどころ満載の法会なのだ。
しかし私が一番すごいと思うのは、奈良時代から一度も休むことなく毎年続けられているということだ。大仏様の開眼供養があった752年に始まったとされているから、2011年で1260回目ということになる。1260回も途切れずに続いている行事など、世界のどこを探してもおそらくないだろう。物事を続けるのは簡単なようで難しい。お水取りも、何度も中断の危機に瀕した。

平安時代末の治承4(1180)年、東大寺は平重衡率いる軍勢の放った火によって大きな火災に見舞われた。大仏殿も焼け、大仏様の上半身は溶けた。かろうじて法華堂や二月堂は残ったが、寺の大部分は灰燼に帰した。大仏様すら焼けてしまったのに、法会どころではない。寺の執行部はお水取りも行わないことに決めた。
しかし有志の僧が反対した。一度やめてしまっては後悔が残るだけ。寺としてお水取りをやらないのなら、寺とはかかわりなしに各自が自主的に励もうと。結局、15人の僧によってお水取りは続けられた。二月堂の下にある湯屋が焼けて無くなっていたので、彼らは凍った川を割り、冷たい水で身を清めた。そうまでして、続けたかった。
二月堂そのものが焼けたこともあった。江戸時代の寛文7(1667)年のこと。13日分の勤行を終えた練行衆が参籠宿所で休んでいると、二月堂に煙が上っているとの知らせが入った。堂司が階段を駆け上がって二月堂に入った時には内陣はもう火の海と化していた。厨子を押し破って小観音を抱きかかえ、袈裟でくるんで外に出た。しかし大観音は銅像なのでとても持ち出せず、そのまま二月堂は全焼した。しかし翌朝、焼け跡に行った人たちは驚いた。大観音が立っていたのだ。無事であろうはずはない。おそらく痛ましく焼けた姿で。人々はその姿を見て何を思っただろう。その時に焼け出された光背や天衣の断片は集められ、今も残っている。

練行衆の衝撃は想像するにあまりある。奈良時代から守られてきた二月堂が焼けてしまった。観音様もあんな姿になってしまった。私が同じ立場なら、もう何も考えられない。「死にたい」と思うかも知れない。しかし彼らは隣に立つ法華堂に場所を移し、翌14日まで勤行を続けた。並々ならぬ精神力だと思う。
なぜ東大寺の僧たちは、そこまでしてお水取りを続けているのか。きっと、ずっとお水取りを続けてきた先輩の僧たち、そしてそれを支えてきた数知れない人々の思いを無にしないためだと思う。

初めて練行衆になると、ある巻物に署名をする。行の間に摺る「牛玉(ごおう)」という札が乱発されないよう、みだりに摺らないことを誓約する「牛玉誓紙」だ。実はこれ、現在も室町時代のものが使われ続けている。先人たちの名前がびっしりと書かれた最後の所に、自分の名前を書く。きっとこの瞬間、その僧ははるかな時間を越えた責任を両肩に感じるのだろう。そして、次の1000年へのリレーをつないでいくのだ。

お水取りの魅力を知り、二月堂を訪れる人が増えている。しかし、それは決してショーではないことを忘れないでほしい。自分勝手な行動を取る参拝者が増えれば、法会そのものの存続が危ぶまれる。1260年の思いの結晶を壊すことができる権利なんて、誰も持っていないはずだ。

真摯な気持ちで、二月堂へ行こう。


東大寺公式ホームページhttp://www.todaiji.or.jp/

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運気UPにおすすめのスポット&アイテムをご紹介。

ならみち(ペンネーム)  2011年1月13日

一之鳥居からつづく参道は神秘的。朝もおすすめです。

春日大社の南門前の「神石」。南門前中央に在るにも関わらず、素通りしそうになるので要チェック。


奈良の伝統工芸である一刀彫りの鹿が巻物の「おみくじ」をくわえた愛らしさ。


ピンクと白のハート形絵馬に仲良く名前を書いてお祈りを。


興福寺南円堂のすぐ隣りにある龍華樹院(りゅうげじゅいん)地蔵堂。 別名「一言観音堂」と呼ばれています。

2011年が始まりましたね。
新年をきっかけに、新たな目標を掲げたり、運気UPを願う方も多いと思います。
今回はそんな人に「奈良で元気になってもらいたい!」という気持ちを込めて、おすすめのスポットをご紹介したいと思います。

まずは、有名な春日大社から。
いつもわたしは初詣に行くのですが、一番のお気に入りスポット、実は「参道」です。
一之鳥居から歩き、バス通りを過ぎたあたりから、両端には木々が生い茂ります。砂利道を歩み、ふと見上げると、木々の緑が風にゆれてざわわと音をたてる。もう何年もそこにあると思われる大木。はがれた幹や折れた枝にも、強い生命力を感じます。漂う空気もぴんと張りつめた、なんともいえない静かな雰囲気。
本殿まではけっこう長い道のりですが、この空気を感じながら歩くひとときは、「日本人に生まれてよかった」とさえ思うもの、だと私は思っています。ぜひここで深呼吸して、自分自身をリフレッシュさせてくださいね。
(なお、この雰囲気をより味わうなら、人が少なくて空気の冴えた初詣以外の冬がおすすめです!)

さて、本殿の回廊に入る前にも注目したいスポットがあります。
それは南門前の「神石」。これが何かは諸説あり、神様の憑代として祀られた「磐座」、春日若宮御祭神がここから現れたとされる「出現石」、落雷で落ちた社額を埋めたとされる「額塚」など・・
真相は不明ですが、その不思議さに思いを馳せるのもまた素敵だと思います。手をかざして、石のパワーを感じてみてくださいね。

お参りをすませた後は、おみくじをひいて運だめしを。
ここはやはり、「鹿みくじ」がおすすめです!
一頭ずつ表情も違うので、お気に入りの鹿さんを選んでくださいね。
可愛い鹿のおみくじは、家で並べておいても超キュート。行く度に増えていく鹿さん・・愛着がきっとわきますよ。

あと、お守りで見逃せないのが「叶守」。
こちらにも可愛い鹿が描かれていますが、ポイントは自分で「願いごと」を書くこと。添付の用紙に自由に記入してお守りの中に入れておけるので、より具体的な願いが叶いやすいのかもしれませんね。

ほかにも、春日大社には良縁祈願にぴったりの「日本で唯一夫婦の大国様を祀る『夫婦大國社』」などたくさんの要チェックポイントがありますので、じっくりゆっくり訪れてみてくださいね。

最後に紹介するのは、わたしの祖母がよく通っていたおすすめスポットです。それは、興福寺の南円堂の横にある「一言観音堂(ひとことかんのんどう)」。「心から願うと、なんでもひとつだけ願いを叶えてくれる」とのことで、繰り返しお参りする人も多く、地元の人からは「一言観音さん」と呼ばれて親しまれています。知らなければ五重塔に見とれて素通りしてしまいそうなので、忘れずにチェック!真剣に願う人々を見て、信仰の深さを感じつつ・・
ちなみに私もささやかな願いが叶ったことがありますよ。

奈良にはほかにもたくさんの「いい場所」があります。
パワースポットといわれる所も多いので、自分が「いいな」と感じる「奈良」をぜひ見つけにきてくださいね。


春日大社公式ホームページ http://www.kasugataisha.or.jp/
興福寺公式ホームページ  http://www.kohfukuji.com/


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日本書紀、万葉集で味わう「藤原京」と「持統天皇」

歩く・ならの女(ペンネーム)  2010年12月10日

広々として美しい藤原京。


畝傍(うねび)山を南東から望む。
「畝火のこの瑞山は日の緯の大御門に瑞山と山さびいます」



藤原宮跡からみえる耳成山。
「耳成の 青菅山は 背面の大御門に よろしなへ 神さび立てり」


藤原宮跡から遠く吉野の山並みを南に望む。
「名くはし 吉野の山は 影面の大御門ゆ雲居にそ 遠くありける」

四季折々の楽しみ。
初夏には野あざみや山つつじなども咲き、日本の原風景に華を添える。

  天武・持統天皇陵。夫婦が寄り添うように一緒に埋葬されている。



飛鳥の夕日を眺めながらもの想う
格別なひととき。



今回は、奈良で生まれた万葉集、古事記、日本書紀などを先にほんの少しでも知っておくことで味わえる、旅の面白さについてご紹介します。

目的地は「藤原京」。

この写真、広々として美しいところでしょう?これが藤原宮跡です。
日本書紀によれば、平城京のほぼ真南、25キロほど離れた藤井が原(現在の橿原市)の、大和三山(畝傍山、香久山、耳成山)に囲まれた場所に、中国の都にならった日本初の本格的な都城(碁盤の目のように縦横に大路の通った都)である藤原京が誕生したのは694年。
平城京へ都を遷(うつ)すまでの16年間、ここが日本の首都でした。
藤原京建都を決意するも志半ばで亡くなった夫・天武天皇の遺志を継いで、妻・持統天皇が遷都を成し遂げたのでした。

ところで、皆さんよくご存じの平安京(794年~)、平城京(710~794年)、藤原京(694~710年)。この3つの都城の中で最も面積が広いのは、実は最も古いこの藤原京だと推定されているのです。
なぜ、こんなに大きな都をつくろうとしたのか・・・。
それは、対外的に東アジアの国々との対等な外交関係を築くためには、諸外国にひけをとらない国の仕組みを整えるとともに、近隣諸国でも評判になるほど立派な都をつくって、国の力をアピールする必要があったから、とも言われています。
一方、国内的には、国家としての始まりの時期、建都や租税制度などの政策を断固として押し進めていく苦労も多かったはずです。
私は、1年ほど前にこれらのことを日本書紀の解説本で初めて知り、藤原京に対して、単に「美しい風景」以上のことを感じるようになりました。

藤原宮跡に出かけ、例えば万葉集の長歌「藤原宮の御井の歌」を声に出して詠んでみます。

やすみしし 我ご大王(おほきみ) 高照らす 日の御子
荒栲(あらたへ)の 藤井が原に 大御門(おほみかど) 始め給ひて
埴安(はにやす)の 堤の上にあり立たし 見し給へば
大和の青香具山は 日の経(たて)の大御門(おおきみかど)に 春山と繁(しみ)さび立てり
畝火のこの瑞山(みづやま)は日の緯(よこ)の大御門に瑞山と山さびいます
耳成の 青菅山は 背面(そとも)の 大御門に よろしなへ 神さび立て
名くはし 吉野の山は 影面(かげとも)の 大御門ゆ 雲居にそ 遠くありける 高知るや 天の御蔭(みかげ) 天知るや 日の御蔭の水こそば 常にあらめ 御井(みゐ)の清水 (巻一・五二)
(短歌)
藤原の大宮仕(おほみやつか)へ 生(あ)れつぐや
処女(をとめ)がどもは 羨(とも)しきろかも (五三)

【おおまかな意味】 藤原宮の御井の歌
偉大な天皇様が宮殿を造り始められ、少し小高い池の堤にお立ちになりごらんになると、ここは東に青々とした香久山、西に神秘的な畝傍山、北に形の良い耳成山、南の彼方には吉野山が見える、美しく雄大な素晴らしい場所だなあ。そして、天高く支配なさる天皇様よ。ここにある井戸(=御井)の清水が涸れずにこんこんと湧くように、この藤原の宮も長く栄えるのであろうなあ。
(短歌)
こんなに素晴らしい藤原の宮に仕える乙女たちが本当に羨ましいことだ。

都は移ろえど、見渡せば、1300年以上も経った今もこの歌のとおり昔と同じ姿の美しい大和三山がそびえ立ち、なるほど、ここは歌に詠まれるほど素晴らしい場所だったのだなあとしみじみ。
現在藤原宮跡で見渡せる野原は都のほんの一部分なのに、とにかく広大。大陸の動向にひとつひとつ対峙し、新しい政策を強力に推し進める苦労をしながらこの都を完成させた持統天皇がここに立ったとき、いったいどんな気持ちになられただろう。達成感か。それとも夫とともに完成を喜び合えない寂しさか。1300年も前に、若かりしこの国の未来のありようと正面から向き合った女帝が、確かにいた。その息づかいを感じられる場所に今、私は立っている。

そんなことを感じていると、歴史の教科書で名前しか知らなかった持統天皇が、生き生きと自分に語りかけてくるような気持ちになります。

少し予備知識を持ち、旅に出た私は想像もつかなかった深い感動と旅の味わいに出会うことができました。その時その時を一生懸命生きている人たちの生きざまに触れ、なにかしら、勇気が湧いてくるのです。
そんな味わい方のできる場所が、奈良にはたくさんあるのですよ!


藤原京から平城京へと続く古代の幹道下ツ道 http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/walk_route/
route_01/detail_map_list_01_2.htm


持統天皇行幸の道
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/walk_route/
route_02/detail_map_list_02_2.htm


歩く・なら
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/index.html


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奈良公園おすすめ紅葉スポットをご紹介!

米原 亮  2010年10月29日

秋の日差しに透ける葉は、奈良のクリ アな空気に溶け込みかなり癒し系。

若草山から奈良公園にかけてのグラデ  ーションはこの時期ならでは。

 あちらこちらにある寺社仏閣と紅葉のコ ラボレーションを是非楽しんでほしい。


奈良公園の鹿達も毛並みが豊かになり冬支度。少しまるみをおびた秋の鹿はかなりフォトジェニック。

秋も深まり、気温の低下とともに木々の色合いにも変化が…。
そこで今回は、奈良公園の紅葉スポットを元俥夫(人力車引き)の僕がご案内!

全国の紅葉名所として奈良公園がクローズアップされることはまずない。紅葉で有名な場所のひとつといえば、やはりおとなり京都。嵐山や三千院など、見所はたくさんある。

じゃあ、奈良公園の紅葉はイマイチなのか?…いえいえ、そんなことはありません。

たしかに、京都の庭園などに見られるような、同じ種類の木々が群生することで色鮮やかに映る紅葉が楽しめる所は少ない。そのかわり、奈良公園の中だけで多種類の紅葉が楽しめるのだ。

例えば、池の真ん中にお堂が浮かぶ「浮見堂」周辺。

ここでは、池を囲むようにモミジ、サクラの紅葉が見られる。水面にお堂とともに紅葉が映る姿は一見の価値あり。
また、比較的観光客が少ないので、ゆっくりと秋の訪れを感じることができる。

人が少ないといえば、「大仏池」もおすすめ。写真好きの間では知られたスポットだが、一般の観光客を見ることは少ない。個人的にも、一番おすすめしたい場所である。
ここの紅葉はイチョウ。池の背景にイチョウ、大仏殿、若草山を一望できる。こちらも浮見堂同様、水面にイチョウや大仏殿が反映する。
落葉後には見事な黄色い葉の絨毯を楽しめるのも魅力。

奈良公園でよく目にする木のひとつ、ナンキンハゼも公園内に彩りを添える。きれいなカーブを描く葉は、赤・黄・紫・緑色などのグラデーションに紅葉する。「荒池」を分断する国道169号線沿いとその周辺、東大寺参道横の「浮雲園地」などがおすすめスポット。
ちなみに、ナンキンハゼが公園内に多く群生している理由のひとつは、実や葉に鹿が苦手な毒があるため、ほかの木のように鹿に食べられることがないからなのだ。

そのほか、その由来からぜひとも見てほしい紅葉スポットが「菩提院大御堂」。前回の僕のコラム、『鹿のこと…かくかくシカジカ』に登場した三作少年のお話の場所である。
お堂近くに植わっているモミジは、花札の絵柄「鹿と紅葉」の題材になったと云われている。歴史に思いふけりながら眺めたい場所だ。

これら以外にも、若草山近くの紅葉とイチョウのトンネル、若草山のサクラ、春日原始林の中に見るモミジの点在など、まだまだ見所は多数ある。

この秋は、公園内で自分だけのおすすめ紅葉スポットを見つけてみよう!

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大仏さまに命をかけた僧 ~公慶上人~ 

花澤茂人 2010年9月27日

世界最大規模の木造建築、大仏殿。公慶は完成を待たずしてこの世を去った

 

公慶が命をかけて修復した大仏は、今も多くの参拝者を見守っている。


公慶が植えたと言われる杉木立。


勧進所の門。赤く塗られているので、通称「赤門」と呼ばれる。

勧進所の門からは、指図堂(左手前)と大仏殿(右奥)を見渡すことができる。

鎌倉時代の東大寺復興を担った重源上人をまつる「俊乗堂」。公慶はとても尊敬していた。

赤門を入って左側に公慶堂があり、毎月12日には法要が営まれる。写真は今年4月12日に撮影。

奈良と言えば、東大寺の大仏さん。
東京国立博物館では10月8日から特別展「東大寺大仏」が開催され話題を呼んでいるが、現在私たちが目にする大仏と大仏殿が誰によって造られたかご存じだろうか。

奈良時代に大仏を造った聖武天皇の名前は知っていても、江戸時代に自分の命をかけ、ぼろぼろだった大仏を修理し、大仏殿を再建した「公慶(こうけい)」という僧の名を知っている人は少ないと思う。

大仏と大仏殿は奈良時代の創建以来幾度か、天災や戦災を受けている。中でもひどかったのが、平安時代末と戦国時代の戦災だった。
戦国時代の1567年10月、松永久秀の軍勢が放った火で大仏殿は焼け、大仏もほとんど溶けてしまった。
数年して修復されたが、大仏の頭部は木の芯に銅板が張られただけの状態。風雨を避けるため仮に造られたお堂も1610年の大風で倒壊した。
公慶が生まれたのは、それから40年近くもたった1648年。
13歳で東大寺に入った公慶が初めて大仏を拝したのは、大雨の降る日だった。
「自分には傘があるのに、大仏様は痛ましい姿でずっと雨にぬれ続けている」。
少年はこの時に大仏殿再建を決意した。その後も大仏を拝むたびに涙を流したという。
1684年、37歳の公慶は動き出した。幕府から許可をもらい、奈良や江戸で勧進(寄付集め)のために飛び回った。
「できるだけ多くの人から、少しずつでも志をいただく」という姿勢で、人々に大仏の由来やありがたさを語って関連する宝物を見せ、お金を分けてもらった。

1691年、ついに大仏の修復は完了した。
費用は1万1178両あまり。現在なら12億円から15億円といわれるお金を公慶は集めたということになる。
翌年3月8日から4月8日まで営まれた開眼供養には20~30万人の参詣者が訪れ、奈良の町中に人があふれた。
まんじゅうやうちわ、墨などが飛ぶように売れ、猿沢池の魚は餌のもらいすぎで、餌をやっても浮かんでこなくなったらしい。

大仏開眼供養が終わった翌日、公慶は7年ぶりに横になって寝た。
「大仏を修復するまで横になって眠らない」と自分を許さず、座ったまま眠っていた。公慶はそんな人だった。

これに続く大仏殿の復興は、もっともっと大変な事業だった。
大仏修復の10倍ともいわれた費用は、幕府の協力を取り付けることでなんとか確保した。しかし最大の問題は、大屋根を支える2本の大虹梁用の木材が見つからないことだった。
25m近い頑丈で長い巨木がどうしても必要だった。

求める木材は九州・日向国にあった。白鳥神社の参道付近に高さ50mを超える松の木が2本見つかった。この木材が入手できたことで大仏殿再建は最後の山を越え、1705年に上棟式が行われた。
しかし、公慶は式後に幕府へのお礼のため江戸に向かったその地で病み、7月12日に息を引き取った。58歳だった。
復興事業は弟子の公盛(こうじょう)らが跡を継ぎ、1709年に大仏殿の落慶法要が営まれた。
これが今も残る大仏殿である。

東大寺を歩くと、公慶に関係する場所は多くある。

大仏殿の北東にある杉木立。これは、大仏殿再建で木材不足を痛感した公慶が「いつかまたお堂を建て直す時のために」と植林した木だといわれている。公慶の想いが込められた樹齢約300年の木々が、今も大空に向けて成長し続けている。

大仏殿の東の石段を登った鐘楼の近くに建つ「俊乗堂」は公慶が建てたお堂だ。ここには鎌倉時代に大仏と大仏殿を復興した重源(ちょうげん)上人がまつられている。公慶は、高齢をものともせず精力的に復興を成し遂げた重源をとても尊敬していた。
勧進の時には重源が使った道具を借り、その成功にあやかろうとしていたようだ。

今度は大仏殿の西。「指図堂」と呼ばれるお堂がある。
浄土宗の開祖、法然上人をまつるお堂だが、ここに大仏殿再建のための設計図面(指図)が置かれていたとされる。
そして、指図堂のさらに西に「勧進所」と書かれた札がかかっている赤い門がある。
ここが公慶が勧進の拠点とした場所。その門を入ってすぐ左手に公慶堂があり、堂内には公慶の像が東向きに安置されている。視線の先には自らが手がけた大仏殿があり、今も静かに見守っている。一般公開されるのは4月12日と10月5日だけだが、毎月12日の朝には東大寺の僧たちが集まって遺徳をしのぶ法要を営む。
もし、公慶上人像を拝む機会があれば、その目をよく見てほしい。
左目が真っ赤に充血している。想像を絶する苦労がしのばれて、胸に迫るものがある。彼は過労死だったという研究者もいる。まさに、大仏、そして大仏殿のために命をささげた人だった。

奈良は平城遷都1300年を迎えた。
しかし1300年前のことだけでなく、その文化を現代につないできた人たちのことを忘れてはならないと思う。
東大寺を訪れた時には、300年前を生きた公慶という僧に思いをはせよう。

(注:文中には数え年齢で表記しています)

東大寺ホームページ:http://www.todaiji.or.jp/

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トイカメラと一緒に、ゆったり『ならまち』

ならみち(ペンネーム)  2010年8月16日


今年はいつになく、テレビでも奈良のことが紹介されています。
もちろん理由は、平城遷都1300年祭。
メディアの効果は大きいもので、友人からも「奈良へ行きたい」と言われることが増えました。

そんななか、聞き捨てならないニュースが、私の耳に飛び込んできました。それは「今年のGWの観光客、奈良全体は増加だが、『ならまち』は昨年より減少」というもの。

えっ??どういうこと?!
私の大好きな『ならまち』にどうして来ないの?
もったいなーい!!

というわけで、『ならまち』から徒歩5分のところで育った私は、『ならまち』を猛プッシュしたいと思います。

まず、行き方。
ガイドブックには大抵「近鉄奈良駅から歩く」とあります。
もちろん歩けますが、ここはバス『市内循環』に乗りましょう。
(電車でいうと、大阪の環状線や、東京の山手線のようなもの。ぐるぐる回っています)

この路線の運賃支払いは乗車時なので、前もって200円をご用意ください。(2010年8月現在)外回りだと奈良公園周辺を通るので、緑の中で鹿がくつろぐ様子も見えてオススメです。

そして、バス停『田中町』下車。
車内アナウンスでも「ならまちへお越しの方はここで」と言ってくれます。
この、降りたところあたりが、ならまちの端っこ。
ちなみにこの近くに、平城京の終わり(はて)という意味からきている、京終(きょうばて)という地名があります。
ここから、ぶらりぶらり散策しつつ、駅のほうへ戻る方が、かなり効率的なのです。

さて、私が思うならまちの魅力は、ひとことで言うと『空気感』。
ずっと変わらない町並み。そこに暮らす人がいて、のんびりゆったり。
古い看板、昔ながらの商店。味のある土塀やさりげなくある世界遺産。

「なんにもないけど、なにかがある」

そんな雰囲気を、ぜひ感じてもらえたらと思います。

散策の際には、カメラがあるといいですね。
個人的なおすすめは、味のある写真撮影が可能なトイカメラ。
ぼわーんとゆるい雰囲気が、奈良という町にぴったりのように思います。

トイカメラはフィルム撮影なので、どんな写真になったかは現像してからのお楽しみ。思いがけずアートな仕上がりになることもあります。
また、フィルムを巻く音に、時代までさかのぼったような気分になれるかもしれません。

そして、もうひとつの楽しみが、ぽつぽつと点在する個性的なお店たち。
こぢんまりかわいいカフェ、手作りのガラス工房、奈良ならではの麻製品。近年いろいろ増えてきているので、新しいガイドブックでチェックしつつ歩きましょう。

また、汗をかいて疲れたら「ひとっ風呂」というのも可能です。
ならまちには、昔ながらの銭湯がいくつもあるので、
昭和を感じるひとときを過ごすこともできますよ。

『ならまち』と言われる範囲は広いので、一度で回りきるのは難しいかもしれません。
でも、カメラ片手に気の向くまま、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
いいな、というものを見つけて、シャッターを切ってみると
きっとそこには“自分だけの奈良”が素敵に写っているはずです。


ならまちホームページはこちら
http://narashikanko.jp/j/naramachi/index.html

身代わり申の庚申さんは街並みにしっくり調和しています。

格子戸のレトロな風景が残る街並みは女子心をウキウキさせます。


伝統的な町屋を再現した『ならまち格子の家』。自由に入ることができます。

お風呂上がりのフルーツ牛乳とか・・・「三丁目の夕日」の世界です。

おだやかな空気感は奈良ならでは。


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エネルギーの集まる場所へ続く『川沿いウォーク』のすすめ

歩く・ならの女(ペンネーム)  2010年7月14日

大和川のほとりを軽快に歩く。
気持ちいい!

次は竜田川。緑が美しい。


富雄川と大和川の合流点。だんだんパワーが集まってきました!


向こうの森が廣瀬大社の参道です。


奈良を旅するなら、私は、断然「歩き旅」をおすすめします!

身体に風を受け、少しずつ変化してゆく空気の匂いを感じながら歩くと、奈良のふかーい味わいがしみじみと感じられるのです。

これからの季節、夏場にもおすすめの道は『龍田大社・廣瀬大社をつなぐ道』。

JR奈良駅から関西本線に乗ること約20分、三郷駅のほど近くに龍田大社があります。そこから、大和川の河川敷を歩き、百人一首に『ちはやぶる神代も聞かず龍田川』と詠まれた竜田川沿い、法隆寺に立ち寄ったあとは富雄川沿いを歩き、終点近くでまた大和川沿いに戻って廣瀬大社に至るコースです。水辺の道が続き、何かしら爽やか。たくさんお茶など飲みながら、自分に合った速さでどんどん進みましょう。

川に沿って歩き、水の神様をお祀りする廣瀬大社に近づくにつれて、川の水音、川から立ちのぼる水の匂いとともに風がみずみずしくなっていき、参道まで来たとたん、計り知れない水のエネルギーが身体に満ちてくるような感覚に包まれます。
その昔、地勢(土地のもつエネルギー、力)の強い場所で祈りの儀式をし、その場所がわからなくならないように祠(ほこら)を建て、鳥居をつくったのが神社の始まりだとか。そう、先に地勢ありき、なのです。

廣瀬大社は、いくつもの川が一点に合流するところという名前の『河合町(かわいちょう)』にあります。水のエネルギーも集まる本当に地勢の強い場所に、水の神様にお祈りする場所として廣瀬大社があるのだなあ、としみじみ。

一方、龍田大社では風神をお祀りしています。飛鳥時代に天武天皇が廣瀬・龍田両社をお祀りし、風水を治め国家安泰を祈願したとの記録も日本書紀に残されています。

一日かけて歩き、夜には、その日歩きながら感じた色々なことをゆっくりと思い返す。

時間を深く味わいながら過ごすのが「奈良の旅」の極意なのです。

 

「龍田大社・廣瀬大社をつなぐ道」の地図
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/kikou/images/sub_directory/ki/ki_13/map_pdf_13.pdf


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「鹿のこと…かくかくシカジカ」

米原 亮  2010年6月17日

奈良公園を走る人力車。

 

 

鹿せんべいを買う観光客を待っているのか、微動だにしない鹿くん。

deer lineがくっきりと出ている飛火野。 この時期緑がとても美しいです。

興福寺・菩提院大御堂

 

 

僕は、今や奈良の夏の風物詩になった“燈花会”がスタートした1999年から、8年間ほど俥夫(人力車を引く人)をしていた。

今回、一番の人気コースである奈良公園をめぐり『鹿ガイド』をするので、人力車に乗っている気分を味わっていただければと思う。

スタートは、東大寺参道入口の大仏前交差点。北に向かって土産店が並び、南大門、大仏殿へとまっすぐに道がのびる。奈良公園内でもっとも観光客が行き交うため、それに比例して鹿の数も多い。もちろん鹿たちの狙いは観光客が買い与える『鹿せんべい』。

交差点付近には、鹿せんべいを売るお姉さん(?)が待機しているが、不思議なことに、鹿たちは、そこに置かれた鹿せんべいには手を出さない。理由は簡単。盗ろうものなら、お姉さんが「バシッ!」である。鹿には鹿でちゃんと社会の規律が成り立っているのだ。

交差点から南へ進み、奈良公園をぐるっと回って興福寺・五重塔を目指すことにする。南へ直進して少しすると、左手に広い芝生地帯が見えてくる。これが小説『鹿男あをによし』にも出てきた『飛火野』。

ここは、アップダウンのある草原の間に幾本かの木が生え、小さな森が周りを囲んでいる。木々をよく見ると、茂った葉の下部分が地面と平行に「剪定(草木を切り整えること)しているのか?」と思うほど見事に美しく揃っている。奈良特有の“deer line”(ディアー・ライン)だ。

お腹を空かせた鹿たちが自分の背丈くらいの葉っぱをむさぼり、足りなくなると、ちょっと前足を上げて少し上の葉をいただく。最後は目いっぱい背伸びして葉を食べる。みんながみんな、奈良公園の木の葉をこのように食べると、これが見事な“deer line”を生むのである。おかげで奈良公園の森はすごく見通しがきく。

飛火野を左に見ながら坂を下り、右に曲がると小さな池が見える。池の真ん中に浮見堂と呼ばれるお堂があり、周辺には桜やサルスベリをはじめ、様々な木々があるので、花見だけでなく、新緑から紅葉まで四季折々の美しい風景を楽しめる場所だ。また、この辺は比較的人が少なく、ひょいと現れる鹿とのんびり触れ合うのには最適である。

池を過ぎ大通りを右折し、短い坂を上りきると、右手には春日大社一の鳥居から参道が伸び、左手に興福寺境内が広がる。このあたりに、多くの人が見落とす場所がある。『菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)』、別名『三作石子詰之跡』で、僕の鹿話の聖地(メッカ)だ。

一説によると、その昔 大御堂には寺子屋があり、小僧たちが読み書きを習っていた。ある日、三作という少年が習字をしていると、一頭の鹿が寺子屋に入ってきて草紙をくわえたので、三作は文鎮を投げて追い返そうとした。ところが、運悪くそれが当たって鹿が死んでしまう。当時、鹿は神鹿として扱われており、それを殺めた罪で三作は処されてしまう。

たいそう悲しんだ三作の母親は、三作が寂しがらないようにと、墓の横に一本の紅葉の木を植えた。これが花札で知られる『鹿と紅葉』の絵柄になったといわれている。そう思うと、花札に描かれた鹿が少し悲しげにみえる。

三作の話をしながら進むと、先に興福寺・五重塔が見えてきた。ふと周りを見ると、身体の大きな鹿が多いことに気づく。この辺りは主に雄鹿が縄張りとしており、秋になると鹿の数が少なくなる。これは、雌鹿を求めて東大寺や飛火野方面にナンパに出かけるからなのである。

話はつきないが、そろそろ終点だ。

鹿と人が共存を続けて1300年近く、今度は鹿目線で奈良を見てみるのも面白いのでは?!

興福寺ホームページはこちら http://www.kohfukuji.com/

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「鑑真和上に会いに行こう」

花澤茂人 2010年5月17日

昨年11月、唐招提寺では約10年をかけた金堂の解体修理が完了し、盛大に落慶法要が営まれた。


鑑真さんのお墓(御廟)に向かう道。空気がとても清らかに感じられる。

 

唐招提寺は、多くのハスがきれいな花を咲かせることでも有名。写真は昨年6月15日に撮影。

1250年も前に亡くなったのに、誰もがその顔を知っている。

そんな人はおそらく世界でもほとんどいないが、奈良に一人いる。
唐招提寺(奈良市五条町)というお寺を開いた奈良時代の僧、鑑真和上(がんじんわじょう)だ。

日本最古の肖像彫刻である国宝・鑑真和上坐像は、歴史を勉強したことのある人なら必ず一度は目にしている超有名な像。実はこの像、とてもデリケートなつくりなので、普段はお寺を訪れても目にすることはできない。しかし一年のうち、命日に当たる6月6日を中心とした5~7日だけ、安置されている御影堂(みえいどう)の扉が特別に開かれる。
さあ、唐招提寺へ。鑑真さんに会いに行こう。

鑑真さんの像は静かに目をつぶり、じっと座っている。何も知らなければ、その姿を目にしても「教科書で見たことある」くらいにしか感じないかもしれないが、彼の人生をちょっとだけ知ると、強く心を揺さぶられてしまう。

鑑真さんは688年、今の中国・揚州市近くで生まれた。
14歳で出家、僧が守るべき決まり(戒律)を受けて修行に励み、社会事業も手がけた。40代半ばになるころには、その地方では第一の僧と言われるまでになっていた。

55歳の時、鑑真さんのもとに2人の日本人僧がやって来た。
日本には当時、正式の僧になるために必要な戒律を授けてくれる先生がいなかったため、彼らは朝廷の指示でその先生を探しに来たのだ。鑑真さんはそれを聞いて日本に渡ることを決意し、5回の失敗を乗り越えて754年に平城京へやって来た。
その時67歳。度重なる苦労のため、晩年には失明していた。

ここまでの話はよく知っている人も多いだろう。でも、もうちょっと考えてみる。
唐で周囲から尊敬を集めながら、充実した修行の日々を送っていたのに、わざわざ命の危険を冒してまで日本へ行こうと決めるという「気持ち」は、ちょっと理解しがたい。しかも5回の渡航失敗の間、一緒に修行してきた多くの弟子が死んでいる。自分より若い弟子が自分のために死んでいくなんて、耐えられないくらいつらい。
「やめましょうよ 鑑真先生!」
多くの人からそう懇願されたに違いない。目も見えづらくなってきた・・・私なら間違いなく途中であきらめる。
しかし鑑真さんは違った。仏法を伝えるため、日本にやって来た。だからこそ現代に生きる私たちの前にあの像がある。

あの像は、鑑真さんの死期を悟った弟子の一人が、死の間際の姿そっくりそのままに造ったと考えられている。
死を前に、失明したそのまぶたの裏には何が映っていたのだろう。帰ることのなかった故郷の風景か、死んでいった弟子の顔か。鑑真和上坐像と対面する時は、彼の経験した悲しみ、苦しみに目を向けたい。

さて、御影堂を参拝した後は、木が生い茂る東の方へちょっと行ってみてほしい。そこに、周囲とは雰囲気の違う空間がある。苔むした杉木立をまっすぐ歩いていくと、こんもりとした小山。鑑真さんのお墓だ。
とても静かな場所だから、耳を澄ますと鳥の鳴き声が聞こえると思う。

目を閉じてみよう
1250年前も きっと 同じように鳥の声が響いていたにちがいないから。

(注:文中には数え年齢で表記しています)

唐招提寺ホームページはこちら http://www.toshodaiji.jp/

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